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편집薛[1]罽頭, 亦新羅衣冠子孫也, 嘗與親友四人, 同會燕飮, 各言其志, 罽頭曰, 新羅用人論骨品, 苟非其族, 雖有鴻才傑功, 不能踰越, 我願西遊中華國, 奮不世之略, 立非常之功, 自致榮路, 備簪紳劒佩, 出入天子之側, 足矣, 武德四年辛巳, 潛隨海舶入唐, 會, 太宗文皇帝親征高句麗, 自薦爲左武衛果毅, 至遼東與麗人戰駐蹕山下, 深入疾鬪而死, 功一等, 皇帝問是何許人, 左右奏新羅人薛罽頭也, 皇帝泫然曰, 吾人尙畏死, 顧望不前, 而外國人爲吾死事, 何以報其功乎, 問從者, 聞其平生之願, 脫御衣覆之, 授職爲大將軍, 以禮葬之
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편집- ↑ 문헌에 따라 篩로도 쓰여 있다.