주자어류/권140 논문하(시) 論文下(詩)
< 주자어류
朱子語類卷第一百四十
- 論文下詩
- 140:1 或言今人作詩, 多要有出處. 曰: “‘關關雎鳩’, 出在何處?” 文蔚(59이후).
- 140:2 因說詩, 曰: “曹操作詩必說周公, 如云: ‘山不厭高, 水不厭深; 周公吐哺, 天下歸心! ’又, 苦寒行云: ‘悲彼東山詩.’ 他也是做得箇賊起, 不惟竊國之柄, 和聖人之法也竊了!” 蘷孫(68이후).
- 140:3 詩見得人. 如曹操雖作酒令, 亦說從周公上去, 可見是賊. 若曹丕詩, 但說飮酒.
- 140:4 古詩須看西晉以前, 如樂府諸作皆佳. 杜甫蘷州以前詩佳; 蘷州以後自出規模, 不可學. 蘇黃只是今人詩. 蘇才豪, 然一滾說盡, 無餘意; 黃費安排. 德明(44이후).
- 140:5 選中劉琨詩高. 東晉詩已不逮前人, 齊梁益浮薄. 鮑明遠才健, 其詩乃選之變體, 李太白專學之. 如“腰鐮刈葵藿, 倚杖牧雞豚”, 分明說出箇倔强不肯甘心之意. 如“疾風衝塞起, 砂礫自飄揚; 馬尾縮如蝟, 角弓不可張”, 分明說出邊塞之狀, 語又俊健. 方子(59이후).
- 140:6 淵明詩平淡出於自然. 後人學他平淡, 便相去遠矣. 某後生見人做得詩好, 銳意要學. 遂將淵明詩平側用字, 一一依他做. 到一月後便解自做, 不要他本子, 方得作詩之法.
- 140:7 或問: “‘形夭無千歲’, 改作‘形天舞干戚’, 如何?” 曰: “山海經分明如此說, 惟周丞相不信改本. 向薌林家藏邵康節親寫陶詩一冊, 乃作‘形夭無千歲’. 周丞相遂跋尾, 以康節手書爲據, 以爲後人妄改也. 向家子弟攜來求跋, 某細看, 亦不是康節親筆, 疑熙豐以後人寫, 蓋贗本也. 蓋康節之死在熙寧二三年間, 而詩中避‘畜’諱, 則當是熙寧以後書. 然筆畫嫩弱, 非老人筆也. 又不欲破其前說, 遂還之.” 雉(미상).
- 140:8 蘇子由愛選詩“亭皐木葉下, 隴首秋雲飛”, 此正是子由慢底句法. 某卻愛“寒城一以眺, 平楚正蒼然”, 十字卻有力! 雉(미상).
- 140:9 齊梁間之詩, 讀之使人四肢皆懶慢不收拾.
- 140:10 晉人詩惟謝靈運用古韻, 如“祐”字協“燭”字之類. 唐人惟韓退之柳子厚白居易用古韻, 如毛穎傳“牙”字·“資”字·“毛”字皆協“魚”字韻是也. 人傑(51이후).
- 140:11 唐明皇資稟英邁, 只看他做詩出來, 是甚麽氣魄! 今唐百家詩首載明皇一篇早渡蒲津關, 多少飄逸氣槪! 便有帝王底氣燄. 越州有石刻唐朝臣送賀知章詩, 亦只有明皇一首好, 有曰: “豈不惜賢達, 其如高尙何!” 雉(미상).
- 140:12 李太白詩不專是豪放, 亦有雍容和緩底, 如首篇“大雅久不作”, 多少和緩! 陶淵明詩人皆說是平淡. 據某看, 他自豪放, 但豪放得來不覺耳. 其露出本相者是詠荊軻一篇, 平淡底人如何說得這樣言語出來! 雉(미상).
- 140:13 張以道問: “太白五十篇古風不似他詩, 如何?” 曰: “太白五十篇古風是學陳子昂感遇詩, 其間多有全用他句處.” 義剛(64이후).
- 140:14 杜詩初年甚精細, 晩年橫逆不可當, 只意到處便押一箇韻. 如自秦州入蜀諸詩, 分明如畫, 乃其少作也. 李太白詩非無法度, 乃從容於法度之中, 蓋聖於詩者也. 古風兩卷多效陳子昂, 亦有全用其句處. 太白去子昂不遠, 其尊慕之如此. 然多爲人所亂, 有一篇分爲三篇者, 有三篇合爲一篇者. 方子(59이후). 佐同.
- 140:15 李太白終始學選詩, 所以好. 杜子美詩好者亦多是效選詩, 漸放手, 蘷州諸詩則不然也. 雉(미상).
- 140:16 或問: “李白: ‘淸水出芙蓉, 天然去雕飾.’ 前輩多稱此語, 如何?” 曰: “自然之好, 又不如‘芙蓉露下落, 楊柳月中疏’, 則尤佳.” 雉(미상).
- 140:17 “人多說杜子美蘷州詩好, 此不可曉. 蘷州詩卻說得鄭重煩絮, 不如他中前有一節詩好. 魯直一時固自有所見. 今人只見魯直說好, 便卻說好, 如矮人看戱耳!” 問: “韓退之潮州詩, 東坡海外詩如何?” 曰: “卻好. 東坡晩年詩固好. 只文字也多是信筆胡說, 全不看道理.” 雉(미상).
- 140:18 杜子美晩年詩都不可曉. 呂居仁嘗言, 詩字字要響. 其晩年詩都啞了, 不知是如何, 以爲好否?
- 140:19 杜詩: “萬里戎王子, 何年別月支?” 後說花云云, 今人只說道戎王子自月支帶得花來. 此中嘗有一人在都下, 見一蜀人遍舖買戎王子, 皆無. 曰: “是蜀中一藥, 爲本草不曾收, 今遂無人蓄.” 方曉杜詩所言.
- 140:20 文字好用經語, 亦一病. 老杜詩: “致思遠恐泥.” 東坡寫此詩到此句云: “此詩不足爲法.” 璘(62때).
- 140:21 杜詩最多誤字. 蔡興宗正異固好而未盡. 某嘗欲廣之, 作杜詩考異, 竟未暇也. 如“風吹蒼江樹, 雨洒石壁來”, “樹”字無意思, 當作“去”字無疑, “去”字對“來”字. 又如蜀有“漏天”, 以其西北陰盛, 常雨, 如天之漏也, 故杜詩云: “鼓角漏天東.” 後人不曉其義, 遂改“漏”字爲“滿”, 似此類極多. 雉(미상).
- 140:22 “天閱象緯逼”, 蔡興宗作“天闚”, 近是. <蔡云: “古本作‘闚’.” 史: “以管窺天.”> 佐(65때).
- 140:23 杜子美“暗飛螢自照”, 語只是巧. 韋蘇州云: “寒雨暗深更, 流螢度高閣.” 此景色可想, 但則是自在說了. 因言: “國史補稱韋‘爲人高潔, 鮮食寡欲. 所至之處, 掃地焚香, 閉閤而坐.’ 其詩無一字做作, 直是自在. 其氣象近道, 意常愛之.” 問: “比陶如何?” 曰: “陶卻是有力, 但語健而意閑. 隱者多是帶氣負性之人爲之. 陶欲有爲而不能者也, 又好名. 韋則自在, 其詩直有做不著處便倒塌了底. 晉宋間詩多閑淡. 杜工部等詩常忙了. 陶云“身有餘勞, 心有常閑”, 乃禮記“身勞而心閑則爲之也”. 方(41때).
- 140:24 韋蘇州詩高於王維孟浩然諸人, 以其無聲色臭味也. 方(41때).
- 140:25 韓詩平易. 孟郊喫了飽飯, 思量到人不到處. 聯句中被他牽得, 亦著如此做.
- 140:26 人不可無戒愼恐懼底心. 莊子說, 庖丁解牛神妙, 然才到那族, 必心怵然爲之一動, 然後解去. 心動便是懼處. 韓文鬥雞聯句云: “一噴一醒然, 再接再礪乃!” 謂雖困了, 一以水噴之便醒. “一噴一醒”, 卽所謂懼也. 此是孟郊語, 也說得好. 又曰: “爭觀雲塡道, 助叫波翻海!” 此乃退之之豪; “一噴一醒然, 再接再礪乃!” 此是東野之工. 雉(미상).
- 140:27 韓退之詩: “强懷張不滿, 弱力闕易盈.” 上句是助長, 下句是歉. 雉(미상).
- 140:28 退之木鵝詩末句云: “直割蒼龍左耳來!” 事見龍川志, 正是木鵝事.
- 140:29 李賀較怪得些子, 不如太白自在. 又曰: “賀詩巧.” 義剛(64이후).
- 140:30 劉叉詩: “斗柄寒垂地, 河流凍徹天.” 介甫詩: “柳樹鳴蜩綠暗, 荷花落日紅酣.” 王建田家留客云: “丁寧回語屋中妻, 有客莫令兒夜啼!” 方子(59이후).
- 140:31 詩須是平易不費力, 句法混成. 如唐人玉川子輩句語雖險怪, 意思亦自有混成氣象. 因擧陸務觀詩: “春寒催喚客嘗酒, 夜靜臥聽兒讀書.” 不費力, 好. 賜(66이후).
- 140:32 “行年三十九, 歲莫日斜時. 孟子心不動, 吾今其庶幾!” 此樂天以文滑稽也. 然猶雅馴, 非若今之作者村裏雜劇也! 方子(59이후). 佐同.
- 140:33 白樂天琵琶行云“嘈嘈切切錯雜彈, 大珠小珠落玉盤”云云, 這是和而淫; 至“凄凄不似向前聲, 滿坐重聞皆淹泣”! 這是淡而傷. 道夫(60이후).
- 140:34 唐文人皆不可曉. 如劉禹錫作詩說張曲江無後, 及武元衡被刺, 亦作詩快之. 白樂天亦有一詩暢快李德裕. 樂天, 人多說其淸高, 其實愛官職. 詩中凡及富貴處, 皆說得口津津地涎出. 杜子美以稷契自許, 未知做得與否? 然子美卻高, 其救房琯, 亦正. 必大(59-60때).
- 140:35 木蘭詩只似唐人作. 其間“可汗”“可汗”, 前此未有. 方子(59이후).
- 140:36 黃巢入京師, 其夜有人作詩貼三省門罵之. 次日盡搜京師, 識字者一切殺之. 詩莫盛於唐, 亦莫慘於唐也! 揚(54-6때).
- 140:37 先生偶誦寒山數詩, 其一云: “城中娥眉女, 珠佩何珊珊! 鸚鵡花間弄, 琵琶月下彈. 長歌三日響, 短舞萬人看. 未必長如此, 芙蓉不奈寒!” 云: “如此類, 煞有好處, 詩人未易到此. 公曾看否?” 壽昌對: “亦嘗看來. 近日送浩來此洒掃時, 亦嘗書寒山一詩送行云: “養子未經師, 不及都亭鼠. 何曾見好人? 豈聞長者語? 爲染在薰蕕, 應須擇朋侶. 五月敗鮮魚, 勿令他笑汝!” 壽昌(57때).
- 140:38 因擧石曼卿詩極有好處, 如“仁者雖無敵, 王師固有征; 無私乃時雨, 不殺是天聲”長篇. 某舊於某人處見曼卿親書此詩大字, 氣象方嚴遒勁, 極可寶愛, 眞所謂“顔筋柳骨”! 今人喜蘇子美字, 以曼卿字比之, 子美遠不及矣! 某嘗勸其人刻之, 不知今安在. 曼卿詩極雄豪, 而縝密方嚴, 極好. 如籌筆驛詩: “意中流水遠, 愁外舊山靑.” 又“樂意相關禽對語, 生香不斷樹交花”之句極佳, 可惜不見其全集, 多於小說詩話中略見一二爾. 曼卿胸次極高, 非諸公所及. 其爲人豪放, 而詩詞乃方嚴縝密, 此便是他好處, 可惜不曾得用! 雉(미상). 子蒙同.
- 140:39 東坡作詩譏一昏闇之人, 有句云: “煙雨塞九竅!” <黎矇子詩.> 璘(62때).
- 140:40 蜚卿問山谷詩, 曰: “精絶! 知他是用多少工夫. 今人卒乍如何及得! 可謂巧好無餘, 自成一家矣. 但只是古詩較自在, 山谷則刻意爲之.” 又曰: “山谷詩忒好了.” 道夫(60이후).
- 140:41 陳後山初見東坡時, 詩不甚好. 到得爲正字時, 筆力高玅. 如題趙大年所畫高軒過圖云: “晩知畫書眞有益, 卻悔歲月來無多!” 極有筆力. 其中云“八二”者, 乃大年行次也. 雉(미상).
- 140:42 “閉門覓句陳無己, 對客揮毫秦少游.” 無己平時出行, 覺有詩思, 便急歸, 擁被臥而思之, 呻吟如病者, 或累日而後成, 眞是“閉門覓句”. 如秦少游詩甚巧, 亦謂之“對客揮毫”者, 想他合下得句便巧. 張文潛詩只一筆寫去, 重意重字皆不問, 然好處亦是絶好. 淳(61·70때).
- 140:43 陳博士在坡公之門, 遠不及諸公. 未說如秦黃之流, 只如劉景文詩云: “四海共知霜滿鬢, 重陽曾揷菊花無?” 陳詩無此句矣. 其雜文亦自不及備論. 道夫(60이후).
- 140:44 山谷集中贈覺範詩乃覺範自作. 又曰: “山谷詩乃洪駒父輩刪集.” 剛.
- 140:45 覺範詩如何及得參寥! 義剛(64이후).
- 140:46 張文潛詩有好底多, 但頗率爾, 多重用字. 如梁甫吟一篇, 筆力極健. 如云“永安受命堪垂涕, 手挈庸兒是天意”等處, 說得好, 但結末差弱耳. 又曰: “張文潛大詩好, 崔德符小詩好.” 又曰: “蘇子由詩有數篇, 誤收在文潛集中.” 雉(미상).
- 140:47 崔德符魚詩云: “小魚喜親人, 可鉤亦可扛; 大魚自有神, 出沒不可量.” 如此等作甚好, 文鑑上卻不收. 不知如何正道理不取, 只要巧!
- 140:48 潘邠老有一詩, 一句說一事, 更成甚詩! 必大(59-60때).
- 140:49 古人詩中有句, 今人詩更無句, 只是一直說將去. 這般詩, 一日作百首也得. 如陳簡齋詩: “亂雲交翠壁, 細雨濕靑松”; “暖日薰楊柳, 濃陰醉海棠”, 他是什麽句法! 雉(미상).
- 140:50 “高宗最愛簡齋: ‘客子光陰詩卷裏, 杏花消息雨聲中.’” 又問坐閒云: “簡齋墨梅詩, 何者最勝?” 或以“皐”字韻一首對. 先生曰: “不如‘相逢京洛渾依舊, 惟恨緇塵染素衣!’” 雉(미상).
- 140:51 劉叔通屢擧簡齋: “六經在天如日月, 萬事隨時更故新. 江南丞相浮雲壞, 洛下先生宰木春!” 前謂荊公, 後謂伊川. 先生曰: “此詩固好, 然也須與他分一箇是非始得. 天下之理, 那有兩箇都是? 必有一箇非.” 雉(미상).
- 140:52 有人過昭陵題絶句云: “桑麻不擾歲豐登, 邊將無功吏不能. 四十二年那忍說, 西風吹淚過昭陵!” 後來人說是劉信叔詩也. 廣(65이후).
- 140:53 “政爾雪峰千百衆, 澹然雲水一孤僧.” 曾文淸詩. 璘(62때).
- 140:54 擧南軒詩云: “臥聽急雨打芭蕉.” 先生曰: “此句不響.” 曰: “不若作‘臥聞急雨到芭蕉’.” 又言: “南軒文字極易成. 嘗見其就腿上起草, 頃刻便就!” 至(64·65때).
- 140:55 劉叔通江文卿三人皆能詩: 叔通放體不拘束底詩好, 文卿有格律入規矩底詩好. 游開子蒙嘗和劉叔通詩: “昨夜劉郎叩角歌, 朔雲寒雪滿山阿. 文章無用乃如此, 富貴不來爭柰何! <雉錄又四句云: “邴鄭鄕嘗依北海, 晁張今復事東坡. 吹噓合有飛騰便, 未用溪頭買釣簑.”> 此詩若遇蘇黃, 須提掇他. 文蔚(59이후). <雉錄云: “先生屢稱之曰: ‘詩須不費力方好. 此等使蘇黃見之, 當賞音. 人固有遇耳.’”>
- 140:56 方伯謨詩不及其父錢監公豪壯. 黃子厚詩卻老硬, 只是太枯淡. 徐思遠玉山人. 與汝談, 比諸人較好. 思遠乃程克俊之甥, 亦是有源流. 雉(미상).
- 140:57 或問趙昌父徐斯遠韓仲止. 曰: “昌父較懇惻.” 又問三兄詩文. 曰: “斯遠詩文雖小, 畢竟淸.” 文蔚(59이후).
- 140:58 “力推獰龍借水飮, 手卻猛虎奪石坐.” 劉淳叟詩. 雲谷有虎挨石, 淳叟作此, 自以爲好, 不可曉. 璘(62때).
- 140:59 谷簾水所以好處, 某向欲作一首形容之, 然極難言. 大槪到口便空又滑, 然此兩字亦說未出. 必大(59-60때).
- 140:60 “龍袞新天子, 羊裘老故人!” 意味. 道夫(60이후).
- 140:61 “群趨浴沂水, 遙集舞雩風.” 同安日試風乎舞雩詩.
- 140:62 蔡京父子在京城之西兩坊對賜甲第四區, 極天下土木之工. 一曰太師第, 乃京之自居也; 二曰樞密第, 乃攸之居也; 三曰駙馬第, 乃鞗之居也; 四曰殿監第, 乃攸子之居也. 攸妻劉, 乃明達明節之族, 有寵, 而二劉不能容, 乃出嫁攸, 權寵之盛亞之. 京攸四第對開, 金碧相照. 嘗見上官仲恭詩一篇, 其閒有城西曲, 言蔡氏奢侈敗亡之事, 最爲豪健. 末云: “君不見, 喬木參天獨樂園, 至今猶是溫公宅!” 仲恭乃上官彦衡之子也, 惜乎其詩不行於世! 雉(미상).
- 140:63 本朝婦人能文, 只有李易安與魏夫人. 李有詩, 大略云“兩漢本繼紹, 新室如贅疣”云云. “所以嵇中散, 至死薄殷周.” 中散非湯武得國, 引之以比王莽. 如此等語, 豈女子所能!
- 140:64 有鬼詩云: “鶯聲不逐春光老, 花影長隨日脚流.” 庚.
- 140:65 有僧月夜看海潮, 得句云“沙邊月趂潮回”, 而無對. 因看風飄木葉, 乃云: “木末風隨葉下”, 雖對不過, 亦且如此.
- 140:66 問曾慥所編百家詩. 曰: “只是他所見如此. 他要無不會, 詩詞文章字畫外, 更編道書八十卷. 又別有一書甚少, 名八段錦, 看了便眞以爲是神仙不死底人.”
- 140:67 古樂府只是詩, 中間卻添許多泛聲. 後來人怕失了那泛聲, 逐一聲添箇實字, 遂成長短句, 今曲子便是. 胡泳(69때).
- 140:68 作詩間以數句適懷亦不妨. 但不用多作, 蓋便是陷溺爾. 當其不應事時, 平淡自攝, 豈不勝如思量詩句? 至如眞味發溢, 又卻與尋常好吟者不同.
- 140:69 近世諸公作詩費工夫, 要何用? 元祐時有無限事合理會, 諸公卻盡日唱和而以. 今言詩不必作, 且道恐分了爲學工夫. 然到極處, 當自知作詩果無益. 必大(59-60때).
- 140:70 今人所以事事做得不好者, 緣不識之故. 只如箇詩, 擧世之人盡命去奔去聲. 做, 只是無一箇人做得成詩. 他是不識, 好底將做不好底, 不好底將做好底. 這箇只是心裏鬧, 不虛靜之故. 不虛不靜故不明, 不明故不識. 若虛靜而明, 便識好物事. 雖百工技藝做得精者, 也是他心虛理明, 所以做得來精. 心裏鬧, 如何見得! 僩(69이후).
- 140:71 詩社中人言, 詩皆原於賡歌. 今觀其詩, 如何有此意?
- 140:72 作詩先用看李杜, 如士人治本經. 本旣立, 次第方可看蘇黃以次諸家詩. 廣(65이후). 敬仲同.
- 140:73 因林擇之論趙昌父詩, 曰: “今人不去講義理, 只去學詩文, 已落第二義. 況又不去學好底, 卻只學去做那不好底. 作詩不學六朝, 又不學李杜, 只學那嶢崎底. 今便學得十分好後, 把作甚麽用? 莫道更不好. 如近時人學山谷詩, 然又不學山谷好底, 只學得那山谷不好處.” 擇之云: “後山詩恁地深, 他資質儘高, 不知如何肯去學山谷.” 曰: “後山雅健强似山谷, 然氣力不似山谷較大, 但卻無山谷許多輕浮底意思. 然若論敘事, 又卻不及山谷. 山谷善敘事掅, 敘得盡, 後山敘得較有疏處. 若散文, 則山谷大不及後山. <淳錄云: “後山詩雅健勝山谷, 無山谷瀟洒輕揚之態. 然山谷氣力又較大, 敘事詠物, 頗盡事情. 其散文又不及後山.”> 擇之云: “歐公好梅聖兪詩, 然聖兪詩也多有未成就處.” 曰: “聖兪詩不好底多. 如河豚詩, 當時諸公說道恁地好, 據某看來, 只似箇上門罵人底詩; 只似脫了衣裳, 上人門罵人父一般, 初無深遠底意思. 後山山谷好說文章, 臨作文時, 又氣餒了. 老蘇不曾說, 到下筆時做得卻雄健.” 義剛(64이후). 淳略.
- 140:74 今江西學者有兩種: 有臨川來者, 則漸染得陸子靜之學; 又一種自楊謝來者, 又不好. 子靜門猶有所謂“學”. 不知窮年窮月做得那詩, 要作何用? 江西之詩, 自山谷一變至楊廷秀, 又再變, 遂至於此. 本朝楊大年雖巧. 然巧之中猶有混成底意思, 便巧得來不覺. 及至歐公, 早漸漸要說出來. 然歐公詩自好, 所以他喜梅聖兪詩, 蓋枯淡中有意思. 歐公最喜一人送別詩兩句云: “曉日都門道, 微敘草樹秋.” 又喜王建詩: “曲徑通幽處, 襌房花木深.” 歐公自言平生要道此語不得. 今人都不識這意思, 只要嵌字, 使難字, 便云好. 雉(미상).
- 140:75 先生因說: “古人做詩, 不十分著題, 卻好; 今人做詩, 愈著題, 愈不好.” 或擧某人會做詩. 曰: “他是某人外甥, 他家都會做詩, 自有文種.” 又云: “某嘗謂氣類近, 風土遠; 氣類才絶, 便從風土去. 且如北人居婺州, 後來皆做出婺州文章, 間有婺州鄕談在裏面者, 如呂子約輩是也.” 燾(70때).
- 140:76 或問: “倉頡作字, 亦非細人.” 曰: “此亦非自撰出, 自是理如此. 如‘心’·‘性’等字, 未有時, 如何撰得? 只是有此理, 自流出.” 可學(62때). 字附.
- 140:77 大凡字, 只聲形二者而已. 如“楊”字, “木”是形, “昜”是聲, 其餘多有只從聲者. 按: 六書中, 形聲其一. 㽦(59때).
- 140:78 凡字, 如“楊·柳”字, “木”是文, “昜·卯”是字; 如“江·河”字, “水”是文, “工·可”是字. 字者, 滋也, 謂滋添者是也. 揚(54-6때).
- 140:79 因說協韻, 先生曰: “此謂有文有字. 文是形, 字是聲. 文如從‘水’從‘金’從‘木’從‘日’從‘月’之類; 字是‘皮·可·工·奚’之類. 故鄭漁仲云: ‘文, 眼學也; 字, 耳學也.’ 蓋以形·聲別也.” 時擧(64이후).
- 140:80 “壹·貳·參·肆”, 皆是借同聲字. “柒”字本無此字, 唯有“漆·沮”之“漆”. “漆”字草書頗似“柒”, 遂誤以爲眞. 洪氏隷釋辨不及此. 閎袓.
- 140:81 “世”字與“太”字, 古多互用. 如太子爲世子, 太室爲世室之類. 廣(65이후).
- 140:82 黃直卿云: “如傭僱之‘傭’, 也只訓‘用’. 以其我用他, 故將雇以還其力. 由此取義, 此皆是兩通底字.” 義剛(64이후).
- 140:83 “夷·狄”字, 皆從禽獸旁. “苗”本有“反犬”. 古人字通用, 無亦得. 義剛(64이후).
- 140:84 古人相形造字, 自是動不得. 如“轡”字, 後面一箇“車”, 兩邊從“系”, 卽纏繩也, 前面口字, 卽馬口也, 馬口中銜著纏繩也. 子蒙(미상).
- 140:85 秦篆今皆無此本, 而今只是摹本, 自宋莒公已不見此本了. 義剛(64이후).
- 140:86 說文亦有誤解者, 亦有解不行者. 音是徐鉉作, 許氏本無. 必大(59-60때).
- 140:87 玉篇偏傍多誤收者, 如“者·考·老”是也. 㽦(59때).
- 140:88 韻書難理會. 如昨日檢“抑”字, 玉篇說文中撿“扌”及“邑”附, 皆不見. 後來在集韻中尋出, 乃云: “反印也”, 卻在“印”部尋得. 元來無挑“扌”, 如此寫印. 義剛(64이후).
- 140:89 字之反切, 其字母同者, 便可互用, 如“戎·汝”是也. “逝”字從“折”, 故可與“害”字協韻. 必大(59-60때).
- 140:90 五方之民, 言語不通, 卻有暗合處. 蓋是風氣之中有自然之理, 便有自然之字, 非人力所能安排, 如“褔”與“備”通.
- 140:91 洪州有一部洪韻. 太平州亦有部韻家文字. 義剛(64이후).
- 140:92 二王書, 某曉不得, 看著只見俗了. 今有箇人書得如此好俗. 法帖上王帖中亦有寫唐人文字底, 亦有一釋名底, 此皆僞者. 揚(54-6때).
- 140:93 字說自不須辯. 只看說文字類, 便見王字無意思. <字類有六, 會意居其一.> 方(41때).
- 140:94 字被蘇黃胡亂寫壞了. 近見蔡君謨一帖, 字字有法度, 如端人正士, 方是字. 揚(54-6때).
- 140:95 論書, 因及東坡少壯老字之異. <南康有人有一卷如此.> 因說: “南軒喜字, 然不甚能辨. 因有一僞書東坡題字, 不好, 南軒以“端莊”顯之. 因論麻衣易不難辨, 南軒以快之故. 嘗勸其改一文, 曰: “改亦只如是, 不解更好了.” 揚(54-6때).
- 140:96 子瞻單勾把筆, 錢穆父見之, 曰: “尙未能把筆邪?” 方(41때).
- 140:97 山谷不甚理會得字, 故所論皆虛; 米老理會得, 故所論皆實. 嘉祐前前輩如此厚重. 胡安定於義理不分明, 然是甚氣象!
- 140:98 魯直論字學, 只好於印冊子上看. 若看碑本, 恐自未能如其所言. 必大(59-60때).
- 140:99 字法直黑內, 黃魯直論得玄甚, 然其字卻且如此. 揚(54-6때).
- 140:100 筆力到, 則字皆好. 不曰有筆力. 如胸中別樣, 卽動容周旋中禮. 方(41때).
- 140:101 寫字不要好時, 卻好. 文蔚(59이후).
- 140:102 “南海諸番書, 煞有好者, 字畫遒勁, 如古鍾鼎款識. 諸國各不同, 風氣初開時, 此等事到處皆有開其先者, 不獨中國也.” 或問古今字畫多寡之異. 曰: “古人篆刻筆畫雖多, 然無一筆可減. 今字如此簡約, 然亦不可多添一筆. 便是世變自然如此.” 僩(69이후).
- 140:103 “鄒德父楷書大學, 今人寫得如此, 亦是難得. 只是黃魯直書自謂人所莫及, 自今觀之, 亦是有好處; 但自家旣是寫得如此好, 何不敎他方正? 須要得恁欹斜則甚? 又他也非不知端楷爲是, 但自要如此寫; 亦非不知做人誠實端慤爲是, 但自要恁地放縱.” 道夫問: “何謂書窮八法?” 曰: “只一點一畫, 皆有法度, 人言‘永’字體具八法.” 行夫問: “張于湖字, 何故人皆重之?” 曰: “也是好, 但是不把持, 愛放縱. 本朝如蔡忠惠以前, 皆有典則. 及至米元章黃魯直諸人出來, 便不肯恁地. 要之, 這便是世態衰下, 其爲人亦然.” 道夫言: “尋嘗見魯直亦說好話, 意謂他與少游諸人不同.” 曰: “他也卻說道理. 但到做處, 亦與少游不爭多. 他一輩行皆是恁地.” 道夫曰: “也是坡公做頭, 故他們從而和之.” 曰: “然. 某昨日看他與李方叔一詩, 說他起屋, 有甚明窗淨几, 眼前景致, 末梢又只歸做好吟詩上去. 若是要只粗說, 也且說讀書窮究古今成敗之類亦可, 如何卻專要吟詩便了?” 道夫曰: “看他也是將這箇來做一箇緊要處.” 曰: “他是將來做箇大事看了, 如唐韓柳皆是恁地.” 道夫云: “嘗愛歐公詩云: ‘至哉天下樂! 終日在書案.’ 這般意思甚好.” 曰: “他也是說要讀書. 只歐公卻於文章似說不做亦無緊要. 如送徐無黨序所謂‘無異草木榮華之飄風, 鳥獸好音之過耳’, 皆是這意思.” 道夫曰: “前輩皆有一病. 如歐公又卻疑繫辭非孔子作.” 曰: “這也是他一時所見. 如繫辭文言若是孔子做, 如何又卻有‘子曰’字? 某嘗疑此等處, 如五峰刻通書相似, 去了本來所有篇名, 卻於每篇之首加一‘周子曰’字. 通書去了篇名, 有篇內無本篇字, 如‘理性命’章者, 煞不可理會. 蓋‘厥彰厥微, 匪靈弗瑩’, 是說理; ‘剛善剛惡, 柔亦如之, 中焉止矣’, 是說性, 自此以下卻說命. 章內全無此三字, 及所加‘周子曰’三字又卻是本所無者. 次第易繫文言亦是門人弟子所勦入爾.” 道夫問: “五峰於通書何故輒以己意加損?” 曰: “他病痛多, 又寄居湖湘間, 士人希疏. 兼他自立得門庭又高, 人旣未必信他; 被他門庭高, 人亦一向不來. 來到他處箇, 又是不如他底, 不能問難, 故絶無人與之講究, 故有許多事.” 道夫曰: “如他說‘孟子道性善’, 似乎好奇, 全不平帖.” 曰: “他不是好奇, 只是看不破, 須著如此說. 又如疑孟辨別自做出一樣文字, 溫公疑得固自不是, 但他箇更無理會. 某嘗謂, 今只將前輩與聖賢說話來看, 便見自家不及他處. 今孟子說得平易如此, 溫公所疑又見明白, 自家卻說得恁地聱牙, 如何辨得他倒!” 道夫曰: “如此則是他只見那一邊, 不知有這一邊了.” 曰: “他都不知了. 只如楊氏爲我, 只知爲我, 都不知聖賢以天地萬物爲一體, 公其心而無所私底意思了. 又如老氏之虛無淸淨, 他只知箇虛無淸淨. 今人多言釋氏本自見得這箇分明, 只是見人如何, 遂又別爲一說. 某謂豈有此理! 只認自家說他不知, 便得.” 先生以手指其下月曰: “他若知之, 則白處便須還是白, 黑處便須還是黑, 豈有知之而不言者? 此孟子所謂‘詖辭知其所蔽, 淫辭知其所陷, 邪辭知其所離, 遁辭知其所窮’. 辭之不平, 便是他蔽了, 蔽了便陷, 陷了便離, 離了便窮. 且如五峰疑孟辨忽出甚‘感物而動者, 衆人也; 感物而節者, 賢人也; 感物而通者, 聖人也’. 劈頭便罵了箇動. 他之意, 是聖人之心雖感物, 只靜在這裏, 感物而動便不好. 中間胡廣仲只管支離蔓衍說將去, 更說不回. 某一日讀文定春秋, 有‘何況聖人之心感物而動’一語. 某執以問之曰: ‘若以爲感物而動是不好底心, 則文定當時何故有此說?’ 廣仲遂語塞.” 先生復笑而言曰: “蓋他只管守著五峰之說不肯放, 某卻又討得箇大似五峰者與他說, 只是以他家人自與之辨極好. 道理只是見不破, 彼便有許多病痛.” 道夫(60이후).
- ∞∞∞∞拾遺編成而又有遺者, 萃此.
- 140:104 志氣淸明, 思慮精一, 炯然不昧, 而常有以察於幾微之間, 則精矣; 立心之剛, 用力之篤, 毅然自守, 而常有以謹於毫釐之失, 則一矣.
- 140:105 人心之動, 變態不一. 所謂“五分天理, 五分人欲”者, 特以其善惡交戰而言爾. 有先發於天理者, 有先發於人欲者, 蓋不可以一端盡也.
- 140:106 人心但以形氣所感者而言爾. 具形氣謂之人, 合義理謂之道, 有知覺謂之心.
- 140:107 便以動者爲危, 亦未當. 若動於義理, 則豈得謂之危乎?
- 140:108 “允執”, 有常久不變之意者得之. 此建別錄所載. 廣錄五條疑是答學書語. 今入此.
- 140:109 寤寐者, 心之動靜也; 有思無思者, 又動中之動靜也; 思有善惡, 又動中動, 陽明陰濁也. 有夢無夢者, 又靜中之動靜也. <夢有邪正, 又靜中動, 陽明陰濁也.> 但寤陽而寐陰, 寤淸而寐濁, 寤有主而寐無主, 故寂然感通之妙, 必於寤而言之. <寤則虛靈知覺之體燀然呈露, 如一陽復而萬物生意皆可見; 寐則虛靈知覺之體隱然潛伏, 如純坤月而萬物生性不可窺. 此答陳淳書, 而詳.>
- ∞∞∞∞問遺書
- 140:110 “忠信進德終日”以下, 是說此一理, 後言形氣. 今古人我皆一統, “神如在上, 在左右”, 是道體遍滿. “誠”字是實理如此.
- 140:111 “射中鵠, 舞中節, 御中度.” 無誠心則不中. <言多不記.>
- 140:112 “理義悅心是愜當. 玩理養心則兩進.” 一是知而悅, 一是養而悅.
- 140:113 “當知用心緩急.” 如大經大體, 是要先知用心, 以此乃可緩緩進.
- 140:114 “曲能有誠”, 有誠則不曲矣. 蓋誠者, 圓成無欠闕者也.
- 140:115 “萬物無一物失所”, 是使之各得其分恰好處.
- 140:116 “人心活則周流”, 無偏係卽活. 憂患樂好, 皆偏係也. 方謂, 無私意則循天之理, 自然周流.
- 140:117 “事君有犯無隱, 事親有隱無犯”, 有時而可分. <言事君親之心本同也.>
- 140:118 “只歸之自然, 則更無可觀, 更無可玩索.” 上句謂不求其所以然, 只說箇自然, 是顢頇也, 謂不可如此爾. ○龜山答人問赤子入井令求所以然一段, 好.
- 140:119 “仁則固一, 一所以爲仁”, 言所以一者是仁也.
- 140:120 “仁在事.” 若不於事上看, 如何見仁?
- 140:121 “退藏於密”, 密是主靜處, 萬化出焉者. 動中之靜, 固是靜; 又有大靜, 萬化森然者.
- 140:122 “斷置”, 言倒斷措置也.
- 140:123 言四德, 云: “不有其功, 常久而已者也.” <不有其功, 言化育之無跡處爲貞.> 因言: “貞於五常爲智. 孟子曰: ‘知斯二者弗去是也.’ 旣知, 又曰‘弗去’, 有兩義. 又, 文言訓‘正固’, 又於四時爲冬, 冬有始終之義. 王氏亦云, 腎有兩: 有龜有蛇, 所以朔易亦猶貞也. 又傳曰: ‘貞各稱其事.’” 問: “咸傳之九四說虛心貞一處, 全似敬.” 答云: “蓋嘗有語曰: ‘敬, 心之貞也.’”
- 140:124 孔子旣知桓魋不能害己, 又卻微服過宋一段, 有盡人事回造化立命之意. 方(41때). <止此.>
- 140:125 “知性善以忠信爲本.” 須是的然識得這箇物事, 然後從忠信做將去. 若不識得這箇, 不知是做甚麽, 故曰: “先立乎其大者.”
- 140:126 問“敬先於知, 然知至則敬愈分明”. 曰: “此正如‘配義與道’.”
- 140:127 問“心無私主, 有感皆通”. 曰: “無私主也不是慏悻沒理會, 只是公. 善則好之, 惡則惡之; 善則賞之, 惡則刑之. 此是聖人至公至神之化. 心無私主, 如天地一般, 寒則遍天下皆寒, 熱則遍天下皆熱, 便是有感皆通.” 曰: “心無私主最難.” 曰: “亦是克去己私, 心便無私主. 心有私主, 只是相契者便應, 不相契者便不應. 如好讀書人, 見書便愛; 不好讀書人, 見書便不愛.” 㝢(61이후).
- 140:128 問: “‘應務不煩’是如何?” 曰: “閑時不曾理會得, 臨時旋理會, 則煩. 若豫先理會得, 則臨時事來, 便從自家理會得處理會將去. 如理會得禮, 則禮到面前便理會得; 如理會得樂, 則樂到面前便理會得, 更不煩也.” 燾(70때).
- 140:129 天機有不器於物者, 在方爲方, 在圓爲圓. 方(41때).
- 140:130 先生曰: “自家理會得這道理, 使天下之人皆理會得這道理, 豈不是樂!”
- 140:131 嘗言坐卽靠倚, 後來捱三四日便坐得. 先生云: “氣不從志處, 乃是天理人欲交戰處也.” 季通. 方(41때).
- 140:132 神乃氣之精明者耳.
- 140:133 “有翼其臨.” 翼, 敬也.
- 140:134 “僂句成欺, 黃裳亦誤”, 事見左傳.
- 140:135 問: “范氏言宋襄公出母事, 有‘生則致孝, 死則盡禮’之說. 然出母旣義不可迎之以歸, 則所謂致孝盡禮者, 恐只是遣使命往來遺問否?” 曰: “恐只是如此. 如定省之類, 自是都做不得了.” 因言: “宣姜全不成人, 卻有賢女: 許穆夫人宋襄公母是也. 春秋時, 魯最號禮義之國. 然其間成甚風俗!” 必大(59-60때).
- 140:136 康節說形而上者不能出莊老, 形而下者則盡之矣. 因誦皇極書第一篇. 二先生說下者不盡, 亦不甚說. 關子明說形而上者亦莊老. 季通. 方(41때).